止まらない未来を目指して ゆずれない願いを抱きしめて
↑この文言でレイアースを思い出した懐かしい皆さんこんにちは、どうもdaiです。
突然だけど、最近になって自分の性格というものに改めて気がつく、そんなことも生きていれば普通にある。
俺って、ゆずらない性格なんですよね。
何をゆずらないかっていうと、そう、扉です。
すべての扉は、押して開けたい・・・!!
扉にはたいてい「押す」とか「引く」とかプレートが貼ってあって、開く方向が指示されていることが多い。
いや、俺ね、この「引く」がすげえ嫌いなんですよ。ww
「押す」の時はそのままスッと通過することができるけど、
「引く」の場合は一旦立ち止まらないといけない。これがめんどくさくてね。
人生、時には立ち止まって自分の足元を見つめなおすことも必要だって、知ってるんですけどね。
でも、扉は人生じゃないよ。止まる必要はないんだよ。
確かに、「引く」時にロスする時間なんて、まあせいぜい1秒ぐらいのものです。
けど、人生の中で何百回何千回と繰り返せば、それはけっこうな時間になる。
そんな時間があれば、俺は愛する人にもっとたくさん「愛してる」って言いたいわけですよ。
今すごい気持ち悪いこと言いましたよ。
すべてを押す。ゴーイングマイウェイ
だから、俺は「引く」扉も全て押す。押して進みたい。
でも、これがよくできたもんでね。
たいていの扉は「引く」になってても、押しても開くんですわ。
押しても開くんなら、わざわざ「引く」にしなくてもいいんじゃね?という話だけど、
これにはまあ、きっと大人の事情があるんです。
たぶんね、あの「押す」「引く」のプレートは2枚で1セットなんですよ。
どこかの業者さんとかで2枚1組で受注生産してるんですよ。
本当は両側に「押す」を貼りたいところなんだけど、それをすると世の中には大量に「引く」が余っちゃうんです。
時代はエコだ。無駄遣いなんて許されない。
もし大量に「引く」が捨てられたりしたら、環境保護の団体とかどっかの社団法人が怒ってくるでしょ。
マスコミだって、「富士山のふもとに大量の「引く」が不法投棄!」とか報じちゃうでしょ。
本当はもっと注目すべき社会問題があるのに、それには目もくれず「引く」のことばっかり言うでしょ。
え?じゃあ「押す」だけいっぱい作ればいいじゃないかって?
いやいやあのね、多分ね、俺の想像だけど、金型がそうなってないのよ。
あのプレートを作る金型がね。
多分「押す」と「引く」が2つペアでできてしまう仕組みになってるんだと思う。どっちかだけを作るなんてできないんだと思う。
とまあ、そんなわけで、世の中のたいていの「引く」扉は押しても開く。
だから俺は、常に押している。
が、しかし。
ごくたまに、本当に引かないと開かない扉がある。
「どうせ、押してもまた開くんでしょ」とか頭の中ではタカをくくってるから、思わぬ形でサプライズを受ける。
扉を押して、ガン!つって拒絶される。
なんだか、俺の生き方自体を否定された気持ちになってけっこう凹むんす。
だから、本当に引かなきゃ開かない時は、扉の「引く」のプレートの上に「本当に」とか「押せませんマジで」とか「いつもキレイに引いてくださりありがとうございます」とか、そういう目印をつけておいて欲しい。
最初っから素直に引けばいいじゃん、っていう至極ごもっともな意見もあるけど、
そのご意見については、一歩引いて受け取っておきます。
【おしまい】