『カエルが池に飛び込んだ』
単なる現象でしかないそれを、松尾芭蕉は
『古池や 蛙飛び込む 水の音』と表現し、そして文学の域にまで昇華せしめた。
ストレートすぎる言葉というのは、分かりやすいが味気ない。
「それで?」と思われてしまう。
心に染みる言葉、印象に残る言葉に何らかの“ひねり”や巧みな比喩といった独自性がある。
その言葉が唯一無二のものだからこそ心に響くんだろう。
それに引き替え、最近流行る音楽の歌詞ときたらどうだ?
やれ愛してるだの、やれ会いたいだの、やれ瞳を閉じて君を描くよだの、そういった手垢まみれの歌詞の連呼でしかない。
表現に深みがなく、実に薄っぺらい。
そもそも閉じるのは瞳ではなくまぶただということを忘れてはならない。
そういった薄い表現ってのは、頭パッパラパーの女子高生あたりにはウケるんだろうけど、
深みがない言葉は結局誰にも響かない。
薄いのは液晶テレビとコンドームだけでいいんだよ。
とにかくな、表現がストレートすぎると思う。
普通に『カエルが池に飛び込んだ』と詠んだところで文学史に残っただろうか?
「それで?」って言われて終わりだよね。
だから、歌詞はもっとひねって欲しい。もっと独自性を出して欲しい。
分かりにくくて良い。全然いい。個人的には全く意味が分からなくても構わない。
例えばアジカン、ストレイテナー、ACIDMANとか。
歌詞の意味はよくわからないことが多いけれど、その歌詞にはちゃんと彼ら独自の世界がある。
若い世代に人気のRADWIMPSもいいだろう。
「僕が総理大臣になったらwwwww日本中から1円ずつ集めてそれで結婚式しようwwwwww」みたいな意味わからない歌詞も確実に独自の世界を醸し出している。
まあこれだけ言っているけど、ストレートな歌詞だって、それを完全に突き詰めればひとつの芸術になるという例もある。
中途半端はイカン。やるならとことん突き進め!これが美学だ。
普遍性のあるストレートな歌詞なら、それを聴く者の胸を打つだろう。
極端な例を挙げると、とある洋楽のグループは、以下のような歌詞で世界的な大成功を収めてしまった。
『自転車!自転車!自転車に乗りたい!』
誰にもマネできない普遍性で以って、独自の頂点を極めたQUEEN。
偉大としか言いようがないわ。
【おしまい】