季節は春真っ盛り。
最近まで欠かせなかった厚手のコートはもう、少し歩くと邪魔になる。かといって薄手のニットだけだと心なしか肌寒い。
春の柔らかい日差しを感じながら、私はいつものようにヒロシのもとへ向かった。
ヒロシと出会ったのは今から半年ほど前。
ヒロシはインターネット上に日記を綴るいわゆる「ブロガー」と呼ばれる活動をしており、1年ほど前に彼は勤めていた大手の会社を退職し、プロブロガーとして生きる決心をした。
当時ヒロシは月に80万PVを稼ぐブログを運営しており、もちろん家族や周りの反対もあったが、年収800万円という生活を捨てて、自分の思いのたけを自由に書き綴ることができるブログの世界に飛び込んでいった。
彼は独特の文章を書いており、固定読者も多かった。
ひとたび記事をかけばたちまち50はてブは固く、かといって炎上もさせない正統派なブログを書いていた。
だから、私が彼と初めて会った時は緊張した。
確か、彼が失恋したという内容を書いたブログ記事だった。その日、私は初めてブログの問い合わせフォームから彼にメールを送ったのだ。
今思えば、あの時なんであんな行動に出たのかわからないけど、いつも愉快で楽しいブログを書いて私や読者のことを楽しませてくれるヒロシが落ち込んでいるのを目の当たりにして、そのまま黙って見過ごせなかったんだと思う。
人の失恋の傷につけこむなんて最低だと思われるかもしれないけど、1つ言い訳をするとすれば、そういったやましい下心はなくひとえに傷ついた彼を元気づけてあげたいという気持ちからだったのだ。
メールを送った数時間後にヒロシから返信が来た。思ったほど落ち込んでなく気丈に振る舞う彼を見て安心した。と同時に、あこがれのプロブロガーからメールの返信が返ってきたということに嬉しさも感じていた。
私はさらにヒロシのブログにのめり込んだ。
ヒロシがコンビニでおすすめのお菓子を紹介してれば私もそれをすぐに買って食べた。その結果私の体重は5キロ増えたが全く後悔はしていない。
ヒロシがおすすめのガジェットを紹介してれば私もそれをすぐに購入した。その結果私はスマホだけで8台所有するはめになったが全く後悔はしていない。
ヒロシがおすすめの車を紹介してれば私もすぐローンを組んだ。その結果私は免許を持っていないのに外車を4台所有するはめになったが全く後悔はしていない。
頻繁にヒロシの書く記事はツイートもするしいいねもするしはてブもするしfeedlyのアカウントを30個ほど使って購読者数を増やしてあげた。
ヒロシはそんな私のことをとても目にかけてくれ、
ツイッターだって「フォロー数:200/フォロワー数:4000」というFF比だったにも関わらず私のことをフォローしてくれていた。本当に嬉しかった。
確かに彼のブログはそれだけで大きな収入を上げられるものではなかった。
一度彼が調子に乗って下ネタだらけの記事を書いて以来、彼のブログからアドセンスは撤去された。
さらに彼のブログをスマホから読むと、エロ漫画サイトの広告が画面の下にくっついて追いかけてくる。
そして、ヒロシのブログは炎上もしなければ大きな賞賛もされない「無難な運営」を続けられていたので、PV数は減る一方だった。
ヒロシはだんだん愚痴をこぼすようになった。
なんであの時会社をやめてしまったんだろう。
「安定した収入」があることがどれだけ幸せだっただろう。
あの時は気づかなかったけど、ヒロシはなんでもないようなことが幸せだったと思うようになっていった。
そんな時こそ、私はヒロシをサポートした。
ヒロシのブログが好きだった私は、なんとかヒロシの力になれるように、彼の一番の読者であり一番の理解者であるよう務めた。
いつしか検索順位が下がり、インフォトップにある怪しげな情報商材を記事内で紹介し始めてどんどん迷走するヒロシを、なんとか止めたかった。
もういつの間にか、私とヒロシはただのブロガーと読者という関係ではなくなっていた。
暇さえあれば彼とLINEのやりとりをして、いつも彼のことを想っていた。
偶然にも同い年で、住んでる地域も近かった私たち。それで会って飲む約束をし、初めて彼と六本木で出会ったあの日。
私は初めて訪れるラブホテルで、私のずっと憧れだったプロブロガーである彼の腕の中で初めて幸せに包まれた。
私にとって彼が一番の人であるように、
彼にとって私が一番の人になっていった。
それ以降、趣味の話も今日あった出来事の話も、友達と遊んだ話も、生活におけるあらゆるエピソード、ブログに書いたどんな内容も、私が一番先に一番近くで聞いていた。
夏には一緒にビールを飲みながら花火を見て、
秋にはおそろいのコートを買って、
冬には私たちの白い吐息が重なって、ずっとずっと幸せだった。
本当に幸せだった。春が訪れる数ヶ月前まで。
目の前をたくさんのカップルが通り過ぎる。
日曜の駅前は、人通りも多くて色めきたっている。
ヒロシとは、今日は映画を観る約束をしていた。
先週から公開されたばっかりで、私の友達もけっこう観に行ったみたいで話題の映画だった。
─たぶんその後は彼の家でご飯を作り、ご飯を食べて、
そして彼が眠るまで隣にいるんだろう。
きっとその間、彼はキスを迫ることもないし私の体を求めることもないだろう。
出会った当初に好きだ好きだと言って私を困らせてきたヒロシの姿は、もうない。
恋愛は生き物である、と私は思う。
新しく産声を上げた恋愛は勢いよく成長し、手に負えないぐらいの大きさになる。そうするとあとは枯れてなくなっていくだけだ。どんなに延命を施そうとしても結局それはただの誤魔化しであり、そんな誤魔化しを必死でしようとする私はどんなふうに滑稽に映るだろう。
その傍らで、また新しい恋愛の命が生まれ、行き場を失った命は葬り去られる。人が「恋愛に疲れた」という言葉を発するのは、そんな経験をしてきたからだろうか──
・・・
街の雑踏が私を不意に呼び戻す。
時計を見ると待ち合わせの時間までまだ20分あった。
頭の中をめぐるよからぬ思考を消そうと、あたりをぶらぶらしようと私は歩き始めた。
やはり日曜の駅前。街は混んでいる。
ふと視線を横にやると、大勢の男女が集まっていた。年齢層もバラバラで、Macbookやデジカメ、スマホを手にいろんな専門用語でやりとりしている。ブロガー達のオフ会だろうか。
私がその団体の横を通り過ぎると、男と女の会話が鮮明に私の耳に聞こえてくる。
「あなたがあの●●ブログのAさん!?わー、一度お会いしたかったんです!」
私の知らないところで私の知らない出会いがあって、私の知らない命がまた生まれていく。
時計の針が待ち合わせの時間に迫っている。
慌てて待ち合わせ場所に戻ると、彼はすでに着いていた。
スマホの画面を見ながら、少し険しい表情をしている。
あのTシャツも、あのジーンズも、もう何度同じ服装を見たことだろう。
私は一瞬息を整え、駆け寄ってヒロシに腕を絡ませる。
「ごめんね、おまたせ!」
「ううん、俺も今来たところ」
新しく生まれる恋愛の命は成長を遂げるがいずれは枯れていく。
彼が「プロブロガーなんてやめて再就職するよ」という言葉を言うことは、まだない。
でも私は、それを枯れさせないように水を与え続けなければならない。
彼は私にとっての光であり、希望なのだ。
それを枯れさせないよう、私も彼に光を与えなければならない。
「今日もね、ヒロシのブログのAmazonアフィから買い物しちゃった」
ヒロシは満面の笑みを見せる。
これでいい、これでいいのだ。
だって彼は、プロブロガーなのだから。
【おしまい】
※この物語はフィクションです。
あるいは、どこにでもあるお話です。