いいことしか書かない人は気持ち悪い
俺は綺麗事とか社交辞令がすごく苦手だ。というか嫌いだ。
たまにいるでしょ、本当にポジティブで前向きなことしか書かない人。
「ネットは出会いを広げる」「この人と出会って前向きになれた」
「ポジティブに熱い気持ちを持って行こう」「人生を豊かにしていこう」
宗教かよって思っちゃうよね。
いや、その前向きな言葉自体は悪くない、悪くないんだけど・・・
人間いつでもどこでもポジティブでいられるわけではないし、
「こいつ嫌い」とか「ああいう発言ムカつく」とか、ネガティブな感情を持つことだって当然あると思うんだけど、
それを一切発露させない人って気持ち悪いなーって思う。
たまにいるんだよ、
「ネガティブなこと書いても誰も得しないじゃん?だったらいつでも前向きなこと言ってたい」
って。
いやいやいやいやいやお前は周りの人間が得するか得しないかどうかで発言内容を決めているの?
「誰も得しない」だなんてどうして分かるの?
俺みたいに他人のネガティブな感情が大好きな人だっているよ?だいたいそんなに得することだけ書いてたいなら、ネットで聞きかじったお役立ち情報ばっかりツイートするbotやってろよ?
って感じちゃうね。
いつでも前向きなことしか言わないヤツのツイートやブログなんて、自己啓発セミナーでも受けてる気分だよ。
個人情報を出した人はネガティブなことを書けない?
facebookなんかでもそうだけど、本名などの個人情報を出しちゃってる人は迂闊なこと書けないね。
いつどこでリアルの知人が見てるかわからないし、ネガティブなこと言えないもんね。
だから美辞麗句が増えるし、心にもないお世辞だって平気な顔して、腹の中では舌出しながら笑顔で言えちゃう。
それでもどうしてもネガティブを出したくなった人は別垢作って愚痴ってしまうんだ。
ネットは元々匿名性が担保されている場所だ。
だからこそ発展してきたのかもしれない。
俺も自分のツイッターやブログは、リアルの知人・友人・職場の人間誰1人にも一切教えていない。
でも最近の若い子とかは当たり前のように本名出すし顔写真出すし、
リアルの友達と普通にツイッターとかでつながってる。
だから本音を書くことも憚れるし、上辺だけのつながりに辟易したりするんだろうな。
息苦しそうにしてる人もいたりする。
だから空中リプライでツイートしてる人けっこう見かける。
「あーあの人うざいなー」とか「あれは面白くない」とかね。
具体的に何のことか書かずにボカすことでストレスを発散させているんだろう。
ちなみに俺は空中リプライも大嫌いだけど、その話はまた今度。
もっとネガティブな感情を出していこうぜ
綺麗事なんかいらないと思う。
嫌いなものは嫌い、つまらないものはつまらない。
気に食わないものは気に食わない。
空気読んで本音を隠して取り繕うのが大人なのかもしれないけど、
そんなものはリアルだけで十分だ。
お互いを褒めあって一切相手が傷つくようなことは言わず、
表向きはじゃれあって慣れ合ってる人たちを見ると、なんだか可哀想になってくるよ。
本当は良くも思ってないものをお世辞で褒めて、何が楽しいんだろうね?
ツイッターでもブログでもフェイスブックでも、
こんなネット上で何かを出すとのは、自分の考えや思いや主張を知ってほしいからだ。
たとえそれが薄汚れた呪詛であっても、俺は構わないと思う。
むしろ俺はひねくれているのでそういうのは好きだ。
俺が聞きたいのは嘘八百の社交辞令ではなく、ひりつくほどのあなたの心からの本音だ。
もっとバンバン出していいんじゃない?
確かに心からの本音を発露させるのと、傍若無人に暴言を言い散らすのは違う。
でも、「こんなこと言って誰かを嫌な気分にさせたらどうしよう」だなんて無駄な心配なんじゃないかな。
人は生きている以上誰にも迷惑をかけないだなんて無理だもの。
嫌われないように生きるのは難しいけど、嫌われないように生きてるってバレたらもっと嫌われてしまう
っていうもんね。
怒り、嫉妬、中傷、文句、罵倒、苦言、叱咤、なんでもありだ。
言いたいことは言いたいように好きなだけ言っていい。
鍵垢も裏垢も愚痴垢も使わなくていい。
それを言うことで誰かが離れていくのならそれは所詮それまでの関係だし、そういう人は遅かれ早かれいずれ離れていく。
誰かに嫌われるのは辛いけど、それを恐れちゃいけないんだよ。
最後にあなたの周りに残った人を大事にすればいいだけなんだよ。
それでもあなたがネットで本音をさらけ出せないなら、
それはとてもとても、悲しいことだと思う。
まあ、ネットとリアルを混同してるような人にはできないかもしれないけどね。
多分俺はこれからもこんな感じなんだと思う。
最後まで読んでくれてありがとう。
【おしまい】