人の「痛み」という感覚は、どのようなものなのだろうか。
聞くところによると、人間の感じる「痛み」は、
人間以外の動物の感じる「痛み」とは質的に大きく異なっているらしい。
例えば、ペットなんかであれば、ある朝見ると何の前兆もなくいきなり死んでいた、なんてことがあったりする。
そしてその原因を調べると、実は大きな病気を患っていたり、大ケガをしていたりする。
でもどう見ても普段からそのそぶりはなく、痛がっているようにも苦しんでいるようにも見えなくて、
飼い主を驚かせる、みたいなケースがあったりする。
実は、ケガや病気に由来する「痛み」は、人間にも人間以外の動物にも共有している。
しかし、人間には、それを心理的に増幅させる機能がある。
それに、この「痛み」という感覚は、生まれながらにして先天的に具備しているわけではない。
生まれてから成長していく過程で、学習して身につけていくものだそうだ。
だから、小さい赤ちゃんは「痛み」をあまり大げさには表現しない。
ヨチヨチ歩いて、つまづいてこけて血を出したとしても、けろっと平然としていることがある。
しかしそんな様子を見るにつけ、保護者は大慌てだ。
「あら、〇〇ちゃん大変!大丈夫!??痛くない!?」
周りのものが血相を変えて心配するもんだから、
当の本人はそこで初めて「ああ、これは痛いと感じる出来事なんだ」という学習をしてしまう。
それ以降、同じようなことがあると、自らワーーーーンと泣き出してしまうようになる。
これは周りの気を引きたくて誇張して泣いているのではなく、本当に痛みが増しているように感じているわけだ。
つまり、「身体的な痛みが心理的に増幅された」ことになる。
俗にいう「プラシーボ効果」というやつである。
けがをした時、それに対する大人の反応を子供はよく見て観察している。
その大人の表情、様子、声などを見て、これが尋常ならざる出来事なのだと知る。
それを知った途端、本当に身体の痛みを感じるようになる。
嘘みたいだけどもこれは事実で、だからこそ、
同じような病気やケガをしても、感じる痛みは人によって異なる。
そして、「痛がり」の人間とそうでない人間が出てくるということになる。
個人的には、最近は過保護な親が多いと思うし、ちょっとしたことでも甘やかしたりチヤホヤして育ててしまうため、
子供が「痛がり」になってしまい、打たれ弱い人間が育ってしまうことが増えたのではないだろうかと感じている。
自己の形成につまづくと人は「自分探し」をする
で、長々と話して結局何が言いたいかというと、
「痛み」という極めて主観的なことですら、実は周りの影響を受けているということである。
痛みだけでなく、嬉しい、悲しいといった感情、
あるいは個人の特徴や性格に至るまで、周囲の人間の反応によって形成されているのだ。
周りの自分への評価や働きかけを受け止め、それを自分の中で実際に作っていく。
例えば、自分はまったくそんなつもりはなかったのに、
学校の通知表に「リーダーシップがある」と書かれて、
なるほど自分はそういう人間だったのかと気づき、それからは積極的に先頭にたったり周りを引っ張っていく存在になったり、みたいなケースはたくさんある。
案外自分では自分のことはわかってないわけで、
人から言われて初めて自覚するみたいなこともよくある。
だから、「自分」という存在は、ほとんどすべて、周りの人間によって作られているといっても過言ではないだろう。
それなのに、最近の若者は「自分が何者かわからない」「自分は何のために生きているのか」みたいな悩みを抱える。
自分は周りによって作られているのに、その周りと接することをせず、一人こもってインターネットばっかりやっているわけだから、そりゃ自分が何者かすら分からなくなる。
もっと意味がわからないのは、そうやって「自分が何者か」がわからなくなった結果、
「自分探し」と称して自分と周囲を切り離して、一人旅をしてみたりすることだ。
「自分を見つめなおす」とかもっともらしいことを言って他者との関係を絶ったりするけれども、
僕は今まで、「自分探しをする」と言って旅立った人間が「自分を見つけた」と報告しているのを見たことがない。
できるだけ多くのものに触れ、見聞きし、多くの人に出会う。
それこそが、自分という存在の確立への一番の近道ではないだろうか。
繰り返しになるが、人は、他者からの評価を受け入れ、本当にそのようになっていく生き物だ。
たとえあなたの彼女がブスだったとしても、「可愛い」と言い続けていれば本当に可愛くなるし、
どう考えてもボストロールみたいな見た目の男性にも、「イケメンだね」と言い続けていれば本当にイケメンになる。
本当だよ。
もちろん、嫌味にならない程度にしないといけないけれども。
だから、もし僕のブログやツイートが面白くなかったとしても、
「今日も面白いね」って言い続けてくれればいいよ。
そうしたら、きっと本当に面白くなるよ。
きっと、そういうことなんだよ。
【おしまい】