「もうtwitterやめます・・・」ネットで仮の死を遂げる人々

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「twitterやめます・・・」

「ニコ動やめます・・・」

「引退します・・・」

 

そのように、高らかに宣言してアカウントを消していった人はたくさんいた。

私もtwitterを利用して3年以上になるが、
その間に、実に多くのアカウントが興っては消え、興っては消えを繰り返した。
ある日いつの間にか、仲の良かった知人がアカウントを消して

「お探しのアカウントは存在しません」

という状態になり、一体なぜ?と驚いたものだ。

 

しかし、ネットという場所は厳しい。

アカウントを消すと、確かに一時的には寂しくなる。
「あの人がどうして?」という気持ちにもなる。

しかしそれも束の間。
数日も経てばそんなことはすっかり忘れ、またいつものように周りの人と談話に興じる。
ネットというのはそういう場所だ。
仲良くなるのは早いが、離れるのもまた早い。

本名や顔や詳しい個人情報なんてあまり知らない、
あくまでtwitterというプラットフォームでのみ知り合った関係。
そこから離れてしまった人のことなどもはや興味がないというのが実態だろう。
可哀想だけど、これって現実なのよね。

 

なら人はそういう時どうなるか?

つながっていることを確認したがるのだ。

女子同士の「私たち友達だよねー」と確認したがる行為に似ている。
つながりが薄いネット上だからこそ、
自分が誰かに必要とされている・求められているという安心感が欲しいのだ。

 

一時期、こんなハッシュタグが流行った。

「#私がTLにいなかったら寂しい人RT」
「#私ともっと仲良くなりたい人RT」
「#私とタメ口で話せる関係になりたい人RT」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気持ち悪っ!!

 

 

ざっと3種類だけあげたが、これらの亜種は多岐多様に渡る。
それほど、人は他人からの承認に飢えているのではないか。

もちろん、それが悪いこととは思わない。
ネットを利用する人間は皆多かれ少なかれ構ってちゃんな部分があると思っている。
問題なのはそのアプローチの部分ではないかな。

 

だから、人はtwitterアカウントを消す。

構って欲しい、認められたい、必要とされたい、
そういった願望が叶えられないとわかった時、人はtwitterアカウントを消す。

それも、わざわざ宣言してから消す

アカウントを消しますとわざわざ言ってから消す

 

いきなり消して周りに心配をかけないため?
違うな。

止めて欲しいんだよ。

本当に消したいなら黙って消すはずだ。
でもそうしないのは、止めて欲しいんだ。

「何言ってるんだ!」「消さないで!」
そう言って欲しいんだ。

まるでリストカットばりの存在主張である。
が、リストカットに比べて本人は何の痛みも伴わないためしょぼい印象を受ける。
だって、その人がアカウントを消したところで、
周りは困らない上にたいして罪悪感も感じないからだ。
勝手に消せよという話になる。

 

でもね、気持ちは分かる。

皆さん、こういうことを思ったことはないだろうか。

 

もし自分が死んだら、皆は葬式で悲しんでくれるのかな?

 

私はこういう想像したことがある。
もし今自分が死んだとしたら、どれぐらいの人が参列してくれるんだろう?
悲しんでくれるのかな。

そういうことを思ったことはある。

 

つまりだよ、

彼らはtwitter上で仮の死を遂げようとしているのではないか?

と思料している。

もちろん、たかがツイッターと葬式を同列に考えることは失礼だと分かった上でのことだ。
誰だって、「いざ自分がいなくなったら皆はどう思うんだろう」と考えるのは不思議ではない。
違うのは、それをただ想像するだけか、実際にやらかしてしまうか、ということだ。

 

このブログでは過去にも、ネットをやってる人間は打たれ弱いヤツが多すぎると書いたことがある。
ちょっとリプが来なかったり、RTしてもらえなかったり、
ちょっとした人間関係の行き違いだけで必要以上に悩み、
「自分は必要とされないんだー ウワァー」
と落ち込み、アカウントを削除(笑)してしまうのだ。

 

mixi疲れ、facebook疲れの次はtwitter疲れ

人がいるところには人間関係ができる。
だからある程度の心労があるのも理解できる。

でもね、疲れるのなんかリアルだけで十分だ

息抜き・暇つぶしのはずであるネットでそこまで心を砕く必要はない、というのが私の持論だ。

【関連】「mixi疲れ」を心理学から考える

 

だから、嫌になったらサッと消えてしまうのが得策だ。
そうやって未練を残してしまうのは、
どこかネットの人間関係に期待を持っているか、
もしくはリアルの人間関係が充実していない証拠じゃないか。

ツイッターであれこれ思い悩んでいる人を見るたびに、
「お前ネットでこれならリアルはどうなってんだよ・・・」
とも私は思ってしまう。(厳しい言葉でゴメンネ)

 

それでも、一言残して消えたいなら

私は、消える時は黙ってサッと消えたいタイプの人間だ。
いつかツイッターに飽きた時も、何も言わずにいなくなりたいと思っている。

それでも、あなたが一言言って去りたいなら。
今までかかわった人たちにせめてお別れを言いたいのなら。

二度と戻ってきてはいけない。

そう思う。

 

だってさー。いるんだもん。
今まで腐るほど見てきたよ。

「引退します」

とか言っちゃって数カ月、早ければ数日で戻ってきた生主。

「動画投稿やめます!」

とか言ってすぐまた戻ってきた動画投稿者。

 

 

いや確かにね、やめますとか消えますって言うと、みんなは心配するよ。

「やめないでよ!」
「楽しい時間をありがとう」
「また戻ってこいよ!」
「いなくなったら寂しいよー」
「いつまでも待ってます」

マジで、卒業式みたいな雰囲気が出ちゃうよ。
まるで自分の葬式に参列してるかのような心境。

自分自身がオンリーワンの舞台、そんな感覚。
飛び交う暖かい「寂しい」「帰ってきて」の声。

 

「私必要とされてるわー。引退してる場合じゃねえな!」

 

結果的に訪れる終着点はこういうことなんじゃないかな?と思います。
気持ちが分かるだけに、こういうことをしてる人見てると本当に気持ち悪い。

確かに寂しいね、また帰ってきてねとは言ったよ?
でも本当に戻ってくんなよ・・・あの空気はなんだったんだよ・・・となってしまいます。

 

だから、最後に一言残す時は。

もしツイッターのアカウントを消す前に、最後のお別れを述べるなら。

「今までどうもありがとう。
けれど、もうこれからはtwitterはやめる。ログインもしないし、みんなのツイートもみない。
皆と話した時間は楽しかったよ。さよなら!」

そんな最期の優しさから出る言葉、それが本来の退会宣言なんでしょうな。

 

そして仮にその時。
フォロワーの方からどれだけ暖かい言葉を投げかけられたとしても、
それは『この人はもう完全にアカウントを消すんだ』という
その事実に対してこそ投げかけられたものでしかないのだ。

だからこそ、そこに乗っかって

「暖かい言葉がきたから、じゃあ続けるか」

つーのは、やっぱダメなんでしょうな。
それは周りの気持ちを踏みにじることになる。

やるならとことんやる、止めるんならとことん止める。
さっさと退会して二度とtwitter.comのURLを踏まない!

そんな不退転の決意の上で以ってなされるべきものなのかななんて思っている。

 

引き際は綺麗に、飛ぶ鳥後を濁さず、
そんなことを常に心に留めておきたいなあ、なんて。

 

アカウントを消していった全ての方々に愛を込めて。

 

【おしまい】