ふつうのテキスト

いまさらながら私の生い立ちを語る

どうもこんにちは、皆さんおなじみのdaiです。

当ブログを運営してもう5年ほどになるのですが、今まで自分がどんな人間なのかを語ってきませんでした。
あまり仰々しく自分の話をするのは苦手なのですが、このままだと

「結局この人何者なの?意味わからない」
「顔面がおでんくんに似てるだけの人でしょ?」

と、思わぬ罵詈雑言を受けるやもしれないと思いました。

なのでこの機会に僕のこれまでを自己紹介したいと思います。

 

生まれ~幼少期

1987年9月、兵庫県姫路市に生まれました。
そうです、お城のあるとこです。

子供のころは非常にやんちゃな子供で、アイスが大好きでした。
よく親に「アイスちょうだい、アイスちょうだい」と言っては困らせていたそうです。
あと、テレビを見るのが好きで、CMに出てくる会社名をしゃべってました。「なしょなる、とーしば」みたいにw

あと、2歳のころには、もう教育番組でおなじみのNHKにどっぷりで、ひたすら見まくってたらしいです。特に「英語であそぼ」は食い入るように見てて、3歳の時点でアルファベットが全部書けたそうです。天才かw
でも、親戚の家に遊びにいったときに床にマジックでアルファベットを落書きしまくって、死ぬほど怒られました。昔からとにかく親には怒られまくって育ってまして、大人になってからでも親に「ほんまにお前は怒って怒って育てたよなあ笑」とネタにされるぐらいですw

 

小学生時代

小学生の時って、1年中半そで半ズボンで走り回ってるような子供いるじゃないですか。僕、まさにあれでした笑
ひたすらドッジボールやなわとびやアスレチックや、毎日日が暮れるまで遊び倒してました。常に体を動かすのが好きで、習い事もサッカーと少林寺拳法を始めてました。学校でもお調子者で、女子をからかって叱られたり、さすがに授業中立ち歩くようなことはしませんでしたが、よくボケを入れたりはしゃぐような生徒でした。
おかげで、6年間のほとんどで通知表に「落ち着きがない」と書かれてましたw

ただ、勉強は正直かなりできました。テストでは100点以外の点数を取った記憶がほとんどありません。勉強することは嫌いではなかったし、常にどんなことでも「なんで?」と疑問と好奇心を持つクセがついてました。
読書好きな父の影響で、いろんな文学作品の本を読まされたり(当時はいやいや読んでましたが)、「算数おもしろ大辞典」という本を買ってもらって、よく読んでました。

 

中学生時代

陸上部に所属しました。短距離志望だったんですが、当時身長が144cmしかなくて、身長低い=足が短い=歩幅狭い=短距離不利という方程式があったんです。だから短距離選手なのに100mで14秒台という遅すぎるタイムしかでず、顧問に「お前は長距離のほうが向いている」と言われ、中1の夏に長距離にコンバートしました。 その頃は忙しくなってて習い事はやめちゃってたので、その分陸上に全力投球した思い出があります。

身長が低い上に部活ばっかりやってたので、すぐ眠くなるんですよね。授業中はよく寝てまして、何度も叱られました。そのせいで席を一番前の列に固定されて、席替えに参加させてもらえませんでしたw それでも成績は良くて、学年で10番~20番ぐらいにはいました。
特に不満もなく友達付き合いも楽しくて順調だった中学生時代ですが、中3の時に好きだった女の子に人生初の告白をし、玉砕しました。情けないですが、泣きました・・・

当時も英語が大好きで、学校でばったりALTの先生と会ったら軽く英語で話すほどの英語好き。高校も英語が専門的に学べるところに推薦で受けようと思いました。
しかし三者面談で「授業中に寝すぎて授業態度が悪いからこのままでは推薦を受けさせられない」と言われて、マジかよとなりましたwそこからは1回も寝ずに真面目に授業に参加し、推薦入試の2か月前になんとか推薦を勝ち取り、合格しました。

ちなみに、中学卒業時点で、身長は147cmしかありませんでした。

 

高校生時代

推薦入学で英語の専門の学科に入学した僕。
実はそのクラス、40人中男子が5人・女子が35人という変則クラスでした。しかも3年間クラス替えなし。入学してから知って驚きました。
しかも何より驚いたのが、その男子5人の中に、僕と同じ苗字の男子がいたってこと。まさかのワンペアwww
何はともあれ、3年間ずっと一緒だったので、男子の結束はめちゃくちゃ強くなりました。

部活は特に入るつもりはなかったのですが、誘われたのと、楽しそうだったという理由で卓球部に入り、また、文化祭のイベントで囲碁将棋部がやってた「将棋部部長と対局しよう!」というコーナーに参加して部長に勝ってしまい、めちゃくちゃに入部を誘われ、最終的に兼部する形になりました。

英語の専門学科なので、英語に関する勉強はかなり多くやりました。留学生とディベートしたり、近所の小学校で英語教育の授業したり、学年代表で英語のスピーチコンテストに出て優勝したり、学校代表になって兵庫県の高校生が集まる英語暗誦大会で決勝まで残ったり、めっちゃ充実してました。成績も学年トップでしたし、進研模試の英語の偏差値は100超えてましたし、人生初の彼女もできた。マンガみたいな生活でしたねw
ちなみに、高校入ってから成長期が来て、高3の頃には175cmになり、みんな驚いてました。

高校3年生の時、周りがみんな携帯を持ち出して、自分も欲しかったんですが親が「ほしいものは自分で買え」という方針だったので、よし、バイトをしようと、近所のスーパーのレジでバイトを始めました。
もちろん学校はバイト禁止でしたが、学校からチャリで40分も離れている距離なので、まさか誰にもバレないだろうと思ってたんですが、あっさりバレました。(先生がたまたま買い物に来て見つかった)その翌日呼び出しを食らい、別室で叱られたのですが、父親が学校に来てくれて、僕の味方になってくれました。「自分の力でお金を稼いで社会勉強することの何が悪いのか」と。そして、父が学校を説得してくれ、「成績を落とさない」という条件で、バイトを続けることが特例で認められました。結局その後、センター試験の前日までバイトを続けてました。

とはいえ、両親は僕の大学進学には反対でした。
両親はどちらも高卒で社会人として働いてましたし、「大学へ行くより早く働いて社会経験をしたほうがいい」という考えを持っていました。ですがなんとかもっといろんなことを勉強したいと思っていた僕は、なんとか両親を説得し、「私立の滑り止めは受けさせない。国公立も前期のみ。それで落ちたら働く」という約束の元、1校だけ受験することを許されました。
で、結果的に大阪大学の外国語学部(旧大阪外国語大学)に合格し、奨学金もあっさり通り、成績上位だったので特待生制度が認められ、4年間ほとんど学費なしで大学に通うことになりました。

 

大学生時代

こうして大学に入学した僕ですが、学校の敷地内にある寮に入りました。初めての親元を離れての1人暮らしなので、ドキドキもあったし多少のホームシックもありましたが、過ごしてみると割とすぐに慣れるようになりました。

大学ではウェイウェイすることもあんまりなく、まじめに授業出てテスト受けてました。みんなまじめでしたしね。
授業後は部活やサークルには入らず、バイトをしてました。
家庭教師、塾、英会話講師、居酒屋、コンビニ、イベントの司会、マジシャンのアシスタントなど、多くの仕事を経験しました。(このころから本格的にマジックを勉強するようになりました)
で、帰ったら寮のみんながいますから、よくパーティーしたり留学生の人たちと夜の大学で遊んだりしてました。(外国語学部なので留学生めっちゃいます)寮の屋上でバーベキューしたり、そういう意味ではウェイウェイしてたかもしれませんw

で、ぶっちゃけ、ここで人生初の超モテ期がきます。
きっかけはマジックができたことなんですが、「すごいやつがいる」みたいに、他の大学からも女の子が見に来る、みたいなことが起きました。
実際今思えばたいしたことない腕なんですが、物珍しかったのでしょう、頻繁に見せてくれと言われるようになりました。かっこよくもないのに、この大学時代が一番女の子とお付き合いしたかもしれません。
皆さん、マジックはモテますよ。

そして、上に書いたバイトとは別に、ホームページを作る会社にバイトで入りました。単純に自給がよかったからです。
そこで、webに関するあらゆる知識を勉強しました。HTML、cssを覚えたのもこの頃です。それが今にも繋がっているのかもしれません。当時の社長はいい人で、バイトを最後やめるときはアドビのソフトを一式(数十万する)買ってくれたりもしました。
で、大学ではロシア語を専攻してたんですが、教授と仲がよかったので、教授のホームページを作ってあげたり、大学生協のパソコンを直したりして小銭を稼いでました。

で、大学4年の頃、単位もほとんど取ってしまった僕は授業も週2日だけになってました。
就活も終わってたし、完全に時間を持て余してたんです。

その頃にハマったのが、ニコニコ生放送(ニコ生)です。
手軽に自分で喋って発信できるという魅力にとりつかれ、かなり長時間放送をみたり自分で配信をするようになりました。
ただ個人情報が怖かったので、顔を出したりすることはせず、しゃべりと企画だけでどこまでいけるかやってみようと、楽しくおしゃべりをしていました。
そして運よく、コミュニティは5000人ぐらいになり、ニコ生で知り合った人たちとオフ会をしたり、女性とお付き合いをしたりと、人間関係の幅も広がりました。
(ちなみにその時お付き合いしていた方は、別れた現在でも僕と相互フォロー状態ですw)

 

社会人時代

2010年に大学を卒業した僕は、そのまま大阪で就職をしました。
入ったのは大阪にある進学塾です。大阪にお住まいの方なら絶対知ってるところです。

子供たちが好きでしたし、何より「何かを教える」ということに自信があったので、天職だと思いました。
しかしもちろん、上には上がいるもので、入ってみたら本当にすごい先生たちばかり。カリスマ的存在というんでしょうか、生徒たちの心を弾きつけて離さないような先生が多くいました。社会経験のない僕は圧倒されるばかりで、「すごいなあ、俺も早くこうなりたい」と思い、毎日仕事に邁進していました。

しかし、その会社はかなりのブラック企業でした。

まず、拘束時間が長い。だいたい1日12~14時間労働は当たり前でした。
その上、補習やテスト対策で土日も出勤することが多く、休みがほとんどなかったんです。
特に入試が近づく1月~3月はヤバく、年末年始の休みを終えた1月4日から、入試の終わる3月下旬までの間に、休みが1日しかないということもありました。

にもかかわらず、給料は年俸制でした。どれだけ残業してもどれだけ休日出勤しても給料は変わりません。でもこれは、年俸制というものをよく知らず、初任給の高さだけで食いついてしまった僕にも責任があります。もし大学生の人がこれを読んでくれていたら、「年俸制」の会社は絶対やめたほうがいいと伝えたいです。

仕事自体は楽しかったですが、やってもやっても終わらない仕事。プリント作りに教材の校閲、保護者面談に電話対応、授業の後の補習、本部での研修・・・業務は山のようにありました。でもそこで仕事をしている先輩やベテランたちは何も文句を言わないしバリバリ働いています。休日も犠牲にして「生徒のため」に尽くす。先生としてはすごいことですが、ワークライフバランスは完全に崩壊してまして、社員はけっこうな人数がいるのに、結婚している人はその1割もいませんでした。

そこで僕は「このままでいいのか?」とずっと思うようになりました。
確かに先輩方の働きぶりは素晴らしいし、尊敬するところが多いのだけど、自分はずっとこの生活を続けていくのか・・・?と思ってきました。
当時付き合っていた彼女にも数か月会えず、結果的にフラれました。

と、そんな折、祖母の具合があまり芳しくなくなったのも相まって、
父に相談をしたときに、「こっちに帰ってきたらええ。お前の部屋はちゃんとある」と言われ、新卒で入った塾は丸3年で辞めることとなりました。

労働環境的にはブラックでしたが、授業のノウハウや営業、保護者や生徒との距離の縮め方など、勉強させてもらうことは大いにありましたし、それは今にも生きています。

 

地元に戻ってから

2013年の夏前に地元に戻ってから、「この先どうしよう」という思いがありました。

とりあえずブラック企業で消耗して疲れたというのもあり、1年間はのんびりしてました。
ツイッターで知り合った人のツテで頂いた仕事(動画作成やweb関連)をしたり、ちょこっとフリーの家庭教師で仕事をしたり、そんな感じで過ごしてました。まあ正社員ではないのでフリーターといえばフリーターですw

でもこのままじゃいけないと思い、結局何がしたいんだ?自分はどんな仕事をしているときに一番幸せを感じるんだ?と自問自答して、たどり着いた答えはやはり「講師」でした。
前の会社で懲りただろうにって自分でも思うんですが、やはり僕は何かを誰かに教える、そういうことにずっと携わっていきたいんだなと感じました。
で、地元の塾に再就職したのが2014年の春です。

そこの環境は前職とは比べ物になりませんでした。
業務の時間はさほど長くなく(塾という仕事上、昼遅くから夜遅くまで)、休みもちゃんと取れ、給料も上がりました。そして何より毎日が楽しい、月曜日が辛くない、これは自分にとっていい転職だったなと思っています。
で、現在に至ります。

 

今後について

もちろん今の職場に不満はないですが、いずれは別のところで働いてみたいという気持ちもあります。
今は地元の姫路にいますが、以前いた大阪、もしくは東京、あるいは海外で生活してみたいという夢もあります。
幸いこういう講師業はつぶしが効くので、どこでだって働けるんですよ。

 

他の趣味について

ということでだいたい僕のこれまでの人生について語ってきたんですが、他に興味のあるものや趣味について語りたいと思います。

 

・音ゲー

いわゆる音楽ゲームです。KONAMIの音楽ゲーム(ダンスダンスレボリューション、ビートマニア、ノスタルジア、ダンスラッシュ)をよくやります。スマホにも音ゲーアプリは結構入ってまして、CytusやDeemo、VOEZ、Dynamixあたりが好きですね。

中でも一番長くやってるのはダンスダンスレボリューション(通称ダンレボ)でして、よくそれ関連のツイートもするのですが、もう本当にとにかく大好き。爽快感と達成感がたまりません。
それが講じて、毎年梅田の茶屋町で行われているダンレボの大会にてメインスタッフをさせて頂いています。今年も12月にやりますよ。

音ゲーをきっかけに人生の幅が広がったと言っても過言ではないし、多くの友達ができたし、僕の人生の核の1つとも言えるものになりました。本当に楽しいです。

 

・マジック(手品)

子供のころからマジックには興味があって、ずっとやってきました。本格的に本とか買って勉強し始めたのは大学生になってからですが、今ではだいぶ多くのマジックグッズを所持するようになり、毎日でもトランプ触って練習する日々です。

そして、僕の強みである「教える」ということも相まって、Youtubeで、マジックのレクチャー動画をアップするようになったのが2年前。今ではおかげさまでチャンネル登録者も6万人以上になりました。(2018年7月現在)

マジックはちょこちょこ動画をツイッターにもあげてますので、また見ていただければ幸いです。

 

・カードゲーム

今はめっきりやらなくなってしまいましたが、学生時代からカードゲームが好きでした。
学生時代には遊戯王、デュエルマスターズ、マジックザギャザリングなど、いろんなものに手を出しました。友達とよくプレイしたり、カードショップに足繁く通ったこともあります。
こうやって大人になるとする機会もなく相手もいないですが、またどこかでやりたいなあ。あれこれ考えながらデッキを作ってた頃が本当に懐かしいですw

 

・将棋

小学生の頃に祖父から将棋を教わって以来、将棋が好きです。
上にも書いた通り、高校生時代に将棋部の部長に勝ってしまったこともありました。
今でも将棋ウォーズなんかでよく指しています。腕前は初段~二段ぐらいのへっぽこですが、お好きな方がいたらぜひお相手してください!

 

・かすみ果穂

男性諸君にしか伝わらないと思いますが、かすみ果穂が好きです。

 

・画像、動画編集

好きが興じて、画像や動画つくりに興味を持つようになりました。
今ではフォトショップやプレミアプロを使いこなせるようになり、バナー制作・アイキャッチ制作・動画制作のお仕事をちょこちょこ頂くようになりました。うれしいことです。
ご用命があれば、いつでもご連絡くださいね。

 

・お笑い

小さいころからお笑い番組を見て育ってきたのもあって、めちゃくちゃお笑いが好きです。お笑いのDVDもけっこう持ってますし、最近のお笑い芸人の話題もほぼ全てついていけます。
テレビでお笑い番組やってたら必ず見るか録画するぐらい好きで、テレビだけでなくいろんな芸人の単独ライブのネタも見てます。

結構かっちりネタを作っている芸人が好きで、東京03やラバーガールなどの人力舎芸人、バカリズムやラーメンズ、陣内智則、アンジャッシュ、トータルテンボス、ナイツあたりが好きです。他にもコマンダンテとか田上よしえとか囲碁将棋とかマヂカルラブリーとか佐久間一行とか東京ダイナマイトとかジャルジャルとか吉田たちとか東京ホテイソンとかネゴシックスとかアルコ&ピースとかハマカーンとかタイムマシーン3号とかオジンオズボーンとかさらば青春の光とか2丁拳銃とか好きなコンビがたくさんいて書ききれないぐらいお笑いが好きです。(少しでも伝わったでしょうか・・・)

 

まとめ

そんなこんなで、長々とお読みくださり、ありがとうございます。
多分ここまで読んでくださってる人はいないと思うのですが・・・

ここまで書いたことに嘘偽りは1つもありません。すべて等身大の僕の姿です。
ここには書ききれないぐらいいろんな挫折とか失敗もしてますし、お恥ずかしい話、借金も抱えたことがあります。(完済済み)

ただ、小さいころから変わってないのには「とにかく毎日を楽しく過ごす」ということでしょうか。楽しく笑って暮らせたら、それが一番だと思っています。

どうぞ、今後とも僕をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました(‘ω’)ノ

ABOUT ME
dai
関西在住のアラサー。とにかく面白いことを言いたい病気を患っていますが、打率は1割です。このブログではたいして役に立つことは書きませんが、ちょっぴりあなたがクスッとなればいいなと思っています。
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